絵葉書が出来るまで

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第一章 バヌアツとの出会い

「バヌアツ」っておいしいの?

2007年3月中旬、確か少しアルコールが回りかけてきたwatashiに、仕事仲間であり遊び友達であるかつおが「su-さんバヌアツ行かないかー」って突然誘ってきた。

「それって、おいしいの?」

watashiとバヌアツの出会いの瞬間である。

「suさん、御免ご飯屋さんの名前じゃなっくって、バヌアツって国の名前」
「suさん一緒に8月10日程旅行しようよ。」
「suさん知ってる?世界で一番幸せな国って言われてるんだよ」

知りません知ってるはずあるわけないでしょ!

たった今「バヌ・・なんとか・・・あっバヌアツって国の名前知ったばかりなんだもん。
でもね、その時なんでこんな風に返事したんだろー


「バヌアツに行く。行ってみる」

即答には理由があった。

2006年9月14日朝9時最愛の母が旅立った。厳しいヒトだった。
遅くして授かった娘が一人で生きていける様にいろんな事に厳しく厳しく「愛情」を注いでくれるヒトだった。
厳しすぎて嫌いになりたかったのに、いつも困ったら母にすがった。
watashiは頑張れば誰にも負けないと思って生きているがこの母には勝てないと思っている。

「癌」だった。
亡くなる1年前の冬に腎盂腎炎にり、その一年後の春に膀胱癌になった。
勿論告知して手術は成功。でも肺に転移していた。言えなかった。あと3年の命だと。
言わなくて良かった。余命3年が瞬く間に4ヶ月で亡くなった。
騙した。今年の夏は暑いから体力が落ちただけよ。直に元気になれるよって。騙し続けた。

watashiには9月にやらなくてはいけないことが2つあった。
一つは購入していたマンションが出来上がりそのチェックや引渡しがあった。
母が心地よく過ごせるように玄関からリビングをすべて畳に改装しようと手配していた。
もうひとつは当社江戸町商會が販売していた一戸建ての引渡しも迫っていた。

自宅で療養していた母。その横でどたどたと引越の準備が始まり新しい家に移った、酸素ボンベと一緒に。
最後まで地力でお手洗いに行こうとする母。粗相をしたくないので夜は頻繁にトイレに通う。
35キロまで痩せた身体には辛かろうと付き添う、リビング中の開封していない段ボール箱をぬって。

4日間だけだったが「新しい家」で一緒に暮らした。
病院に入院して2日で亡くなった。どうしても出ないといけない仕事の翌日に。

暫くはお葬式だとか、七日七日の法要だとか、引越しの後始末や母の遺品の整理だとか改装の残りとか、母と行っていた四国八十八箇所の残りの旅だとか、いろいろあった。勿論仕事もある。

張り詰めていたものが少しづつ緩んでいく。
そんな時だった。「バヌアツ行かない?」と誘われた。
「バヌアツ」どんな国か全くわかんないけど、チャンスが今あるなら行こう。
だってこんな風に言ったらいけないけど、「介護」があのまま続いていたら行けないんだし、母の死を涙涙で悲しんだままでは旅なんて気持ちにもなれないから。

少しバランスの悪い心のこの時期だから行きたかった。この時はどの国でもよかったのかもしれなかった。


僕も行く!

かつおとwatashiのバヌアツ行きは意外な形で「へっぽこ三人旅」へ変更になった。
現在では入籍し配偶者である930せんせとwatashiの両親は4人で同居していた。
930せんせは父の介護・見送り、母の見送りを時には手伝ってくれ、時には主導してくれ共に涙し笑いあってきていた。
930せんせは当時サラリーマン。
当然10日も休めるはずがない・・・とwatashiは思っていたのだが、「あのね、かつおとバヌアツ行ってくるね」って言ったら・・・

「僕もバヌアツ行く、会社首になっても行きたい。僕も行く~」

リストラされてもいいよ。
会社が何って言っても930せんせ本当に頑張ってくれていたから。
旅から帰って席なくなっていてもぜんぜん困らないよ。
930せんせの実力、同業者のwatashiが一番知っているから。
とその時思って一緒に行こう~ってことになった。

つまり930せんせはバヌアツが「世界で一番幸せな国」なんて情報もないままに参加することとなったのである。


何で「バヌアツ」?

かつおが2006年7月26日土曜日の朝、出勤前にいつものごとくヴォーっとテレビを見ていなかったら。
日本テレビ系の「ウェークアップぷらす」で「辛坊治郎が行く!世界で一番幸せな国バヌアツ」という特集をやっていなかったら。
特集を見終わって、絶対に行きたい!って思わなかったら。
1年間夢を追いかけて、来年の夏くらいに行けたらいいな♪と思わなかったら。
いろんな人に一緒にいこうと半年近く声をかけなかったら。

watashiは南太平洋に浮かぶバヌアツ共和国を知る由なかった。

かつおはこの時バヌアツをこのように表現していた。
「南太平洋に浮かぶバヌアツ共和国。およそ80の島で構成され、面積は全体で新潟県と同じくらいの小さな国。
人口は20万人。日本からの直行便は無い。首都のポートビラとわずかなの街以外は電気も水道も無い未開地。
圧倒的な手付かずの自然、人々は自然と共生し、穏やかに笑いながら生活している。決して「裕福」では無いが「豊かさ」を感じた。
イギリスのシンクタンクがこの国を「世界で一番幸せな国」としたらしい。ちなみに日本は95位。」

だから、バヌアツだったのだ。

バヌアツ共和国(Vanuatu)
首都 ポートビラ(Port Vila)
公用語 ビスラマ語、英語、フランス語
独立 英仏共同統治より1980年7月30日
国面積 1万2,190平方キロメートルで世界157位(新潟県とほぼ同じ大きさ)
人口 231,142人(2008年、世界銀行)
主要産業 観光・金融
通貨 バツ(Vatu)
民族 メラネシア系(93%)・中国系・ベトナム系・英仏人
言語 ビシュラマ語(ピジン英語)、英語、仏語(いずれも公用語)
宗教 主にキリスト教(プレスビタリアン、ローマ・カトリック、アングリカン、セブンス・デイ・アドベンティスト等)
在留邦人数 82名(2008年現在)
在日バヌアツ人数 5名(2008年、法務省在留外国人統計)

おんぶにだっこされて

かつおは「インターネット」を酷使し、「ミクシィ」で現地日本人から情報を集め、東京の「バヌアツ情報室」まで突撃した。
彼の頭の中は「バヌアツ」一色。

watashiは彼に質問した。

「飛行機は当然ビジネスよね」「もちろん、エコノミー」「えー」
「向こうで何するの?」「海に潜ったり、ケーブツアーや火山見学、小学校訪問。」「えー、watashi子供得意でないのに・・・」
「体力いるの?」「ケーブツアーはそこそこ大変らしい」「えーwatashiがアウトドア派でないこと知ってるよね。」

もうなんでもいい。
行くと決めたんだから。

慌てて、通販で「エアロバイク」購入。
「モンベル」「パタゴニア」を家の横にあるにもかかわらずはじめて知り、防水用・蚊除けのもろもろを購入。
一度しか使わないはずだと「安いアクアシューズ」。
小学校で渡す「クレパス」「画用紙」。
自分でしたのはこれだけ。

その他、旅の内容や手配はすべて、かつおがしてくれた。
いわゆる、おんぶにだっこされた状態でバヌアツに向かったのである。


第二章

バヌアツの税関とタンナ島の笑顔

2007年8月2日から8月13日 930せんせ・かつお・watashiのバヌアツ旅のはじまり。

8月2日 朝関空から、エアーカランにてヌメア(ニューカレドニア)高くて汚いモーテルで三人一部屋で泊まる。
アルコールでテンションあげなければ後悔してしまいそう。

8月3日 エアーバヌアツにてポートヴィラ着
ややこしいものなどないのに、税関の職員は「これは何?」と質問してくる。子供苦手と言いながら持ってきてるあめちゃんです。
「これは?」紙パックに入った芋焼酎。なんでもかんでも次から次に手にする。

   

メラネシアンホテルのヒロさん手助けで無事酒と共に入国。
タイから日本に帰ってくるときに何かお預りものないですかとかばんの中を引っ掻き回されたことあるが、ここは珍しいものは没収の勢い。

なんて国だ!

8月4日から6日 タンナ島に移動。ここは、日本人スタッフがいない。すべてバヌアツ人だけ。
《ちょっと待ってて》では、2時間置き去りにされ、《近いよ》で、でこぼこ道を車の荷台で1時間半わが身をかばう。
意外と楽しい、けど

なんて国だ!

ヤスールの火山を見に行く途中で、「ここはフランス語の学校」「ここは、英語の・・・」とやたらスクールがあることを誇らしげに、はだしで歩いている彼らが説明してくれる。

彼らが噛んで吐き出してつくる「カヴァ」を飲むかつお。watashiの芋焼酎が気に入る彼ら。異文化交流はできた。
かつおの誕生日だと分かると大切な子豚を丸焼きにしてくれた。厳密には中は生焼けの塩などの味なし。
かつおは、僕はここで生きられるようになると、そのまま食べている。
横では、930せんせがフライパンでよく焼いてしょうゆ付けてうまそうにしてる。かくゆうwatashiもわさび使ってました。

    

タンナ島のwatashiの感想は、「いい加減だけど、優しくて憎めない。」
車に乗って移動すれば、子供たちが森の中から飛び出してきて、屈託の無い笑顔で我々に手を振る。

いやーんバヌアツの子供たち最高。


生きている

ざ ざっ ざ ざっ
昨日の雨で抜かるんだレンコン畑のような道に、生い茂る木々。
枯れ葉や木の根をしっかり踏みしめ、前に歩く人に離れまいとひたすら、足を前に出す。
戦地ビルマでじっとりと粘りつく山中をもくもくと歩いていた。
重い重い革靴。きっと何キロもの鞄をしょって。

ふと感じられた感触。亡くなった父。

ただここは、バヌアツ。エスプリット・サント島。
ミレニアムケーブに向かっているへっぽこ三人組。しかも、軽い靴、カメラしか持ってないwatashi。
遠く離れた場所、時間の違いなのに、なぜか涙があふれる。父への想いと向き合っているつらい現実。

この日の為に「エアロバイク」まで買って体力作りしたのに、すってんころり。足が重い。引き返そうにも帰れない。文句も言えない。
一度行った女性がこう告白していた「命がけの遊びって楽しいなー」
騙された。遊びの域を超えている。
その日のwatashiの一言が「ワシらこれ、金も貰うてるのとちゃうやんなぁ 金払ろてんねんなぁ」 だった。らしい。

どろどろの靴、びちょびちょの服 汗の匂いがする体。もー「ありえない」のに心地いい。
良く「女優さん」が秘境や戦地行って撮影しているがきっと、撮影なんだと思う。ほんとに現地とまみえたら、

きれいは・・・ありえない。
こんなに辛いのに、なんだか う れ し く なってくる。

そう、「生きている」感じだ。


ピキニニの瞳

ぐったぐたのひ弱なwatashiはブナツペフ村に到着。
ピキニニ達が「こちらの様子を伺っている」

930せんせの目の大きさの3.5倍以上あるつぶらな瞳の彼ら。
マッチ棒を7本載せてもへこたれなさそうなまつげ。

旅行者watashiは老後の楽しみに彼らの写真を撮るという「嫌な嫌なやつ」に変身。
じゃーん。ローリー作戦開始。
あめちゃん渡して喜ぶ顔を見る、嫌な奴watashi。

「あれ?」
怖いからか・・・?
近づいて来ているのに・・・「ギブミーあめちゃん」をしてこない。
一人二人渡して美味しそうに食べ始めても・・・自分から手を出さない。
渡せば受け取ってくれる。
何個も貰おうなんて子供はいない。

えー・・・信じられない。
watashiの知っている子供の域から外れている。
もーたまらなく可愛い。愛おしいとはこのことか。

そういえば、前にバヌアツを訪れていた名古屋の女性は
「わたくしの出逢ったバヌ子供、みんな甘えるけれど、甘ったれていない 」
「かっこいい子供ばかりでした。 大人を尊敬せざるを得ない環境のせいかもしれないですね」
とwatishiにアドバイスくれていた。

この笑顔は「疲れた体」を軽くしてくれる。

ピキニニとは、バヌアツ語で「子供」を意味する。
ピキニニ 最高ー


運命の出会い

サント島での、過酷な「ミレニアムケーブ」やおっとろしい初めての「ダイビング」の企画をしてくれたのがマラカイさんだった。

シャンパン好きで、お日様の下での遊びが苦手なwatashi。
シャンパン好きで、お日様の下と海中で楽しめるマラカイさん。

彼女は、オージと結婚し二人の子供もいる。外務省が把握しているバヌアツ在住の少ない日本人の一人だ。
おおらか。誰にでも好かれ、「ケタケタケタ」といつも笑っている。太陽が似合う素敵人。
watashiも知らないうちに彼女のファンに。

そんな彼女が企画してくれたのが「ビルビル村の小学校に行く」だった。

たくさん色々な村があるが、この「ビルビル村」は自分達のカスタム(習慣とでも訳せばいいのか)を観光客に披露することで学校を作り、先生を自分達で雇っている。

裸足なのに。

ピキニニ(子供達)の勉強しているところへ連れて行ってもらった。
同行者かつおさんは紙風船とか糸電話とかで一緒に遊んでる。
目が綺麗。キラキラ。キラキラ。
ノックダウンしてしまった。子供苦手なはずなのに・・・。なんってこったい。

恐るべしピキニニ。

教室の壁にはフランス語で数が書かれてあり、絵も少しだけ書いて飾ってあった。
watashiの用意して持参した「画用紙・クレパス」も使ってくれそうな予感がなんと嬉しかった。

まだ、この時は「この笑顔」に会いたくて、自分でも「えっ」ことし始めるとは当然思っていなかった。


第三章

バヌアツ旅とミクシィ

短い時間の旅だったけど、バヌアツがなぜ世界で一番幸せな国と称されるかなんとなく解ったような気分でいた。 夢のような時は過ぎ、現実では「男性社会に戻り」キッタハッタの世界に引き戻されていた。

唯一つ、ミクシィでのバヌアツからの報告に「あーあのピキニニ達元気かなー」と心奪われていた。

もちろん、会社でもホームパーティ(自宅での宴会)でも会う人会う人に
「バヌアツええでー」
ほら「写真見てー」と小さなバヌアツ大使の気分。

年の変わりマラカイさんの記事に釘付け。

ビルビル村の収入源がカルチャ村の入場料なのですが、現地に電話も無く、いつ観光客が訪れるかもわからず、たまーにお客さんを送っても、ガーデンに行っちゃって人がいない。
なんてこともよくあるので、少しずつ人気が下がっている村なのですが、とても素敵な村なので、何回か村の酋長、ブレコネさんと何回か話しをして、将来どうように村の観光を良くできるか、について話あっているところです。

実は去年その村で彼等がその収入で子供達のために小学校を作ったのです。
小学校と言っても、小さな小屋が二つ。政府から先生が1人送られてきましたが、教科書や文房具はほとんど無し。

と記されていて、おまけにwatashi達が持っていった文房具に前回色々持ってきてくれて、生徒も先生も感激していました。ありがとうとまで。

続きには、

こんな小学校はバヌアツの島々に山とあるのですが、少しずつ自分の周りから手助けしていければと思っています。
この間も酋長さんが私のオフィスに来られた時に裏の使われていない紙を30枚程お渡ししただけで、感激していかれました。
そこで、物がとても豊富な日本に住んでいる皆さんにお願いです。
仕事場で裏が使われていない紙、短くなった鉛筆、色鉛筆、クレヨン等を捨てずに少しずつ送っていただけると大変ありがたいです。

と書かれていました。

名前しか知らないバヌアツ仲間達はすぐに送っている様子。
watashiも何か用意したくなって、「あのー、余ってるもしくは使わない絵の具下さい」とデザイン学校の理事長にお願いした。
快く受けてくださり3カ月してwatashiの会社江戸町商會に10箱のダンボールが届いた。

絵の具・画用紙・便箋・墨汁・クレパス・クレヨン・筆・パレット・ガナッシュ・パステル等など。
すごーい。さすがプロが使用するものも多い。職員の方のお子さんのお古もあるし、短い鉛筆も入っている。

watashiも送るぞー!

ピキニニ達喜んでくれるかなー。


恐るべし運賃

ボランティアなどという高尚な行為をする時間さえなく働き続けた30代。
仕事中心だったwatashiは、NPO・ボランティアグループの伝手も無い。
当然、人の手伝いしていないのだから、自分でやるしかない。

そんな風に思っていたある日、近くの会社で働く「女子」がお昼休みに手伝ってくれた。

不動産の世界は男性社会。
女性であるwatashiは「人に頼ること」をしなかったし、出来なかった。
学生時代から、あまり群れることが得意でなかったし・・・・苦手だった。
だから、この不動産の仕事があってたのかもしれない。
そういいながらも、何でもかんでも一人となると辛いし一抹の寂しさを感じる。
だから、損得無しに手伝ってくれる仲間がいる時watashiは無性に感激する。

ありがとう。

感慨に浸るまもなく、この10個の箱をバヌアツに送らなければいけない。

サントに行ったことがある関東在住の女史に伺いをたててみる。
あったこともない人にお願いしているwatashi.
なんて、ずうずうしい奴なんだろう。
このとき女史はこのように。

素晴しい!ナンバワン!!
20キロが10箱!喜びますよ~きっと。
しかし30万は・・・なんとかしたいですよね。

そしてお察しの通り船便は・・・
運が悪いと数ヶ月かかりしかも途中で行方不明になる可能性アリ
と脅されて私も利用しませんでした。
役立たずですみません。
私が貰ったアドバイスを総合すると「100%届かない」というわけではなさそうですが、航空便より危険度が高いのは間違いないようです。

しかし「~だそうです」なんていう、役立たず回答だけでは申し訳ないので、私からも知っていそうな方に問い合わせてみます。数日お待ちいただけますか。

としたうえで、頼もしい助っ人を探し出してくれました。

バヌアツ観光局の冨田さん。

彼は、山九株式会社のイマイさんを紹介してくれ、イマイさんはど素人のwatashiに丁寧に優しく教えてくれたのです。
ほとんど利益にならないwatashiの依頼なのに。

おかげで神戸~横浜、横浜~サント間を10万以内で送ることが出来たのです。
みんな、ありがとう。


5つの学校に

荷物は時間をかけ、台風シーズンの海を渡り無事サントに着いた。
一安心。

マラカイさんの指示に従い、
「ビルビル村」
「サントの障害者施設」
「サントの裸足でアタッシュケースもってる校長のいる小学校」
「ガワ島の学校」
「アンブリムの小学校」
への、寄付としてすでに箱詰めしてある。

マラカイさんには、来年(2009年)5月にwatashi達、バヌアツ行くからその時に、ピキニニが描いた「絵」を貰って帰りたい旨伝え、ふっと思う。

その絵を絵葉書にして少しずつ皆に買ってもらう。
そのお金をバヌアツのピキニニ達に絵を描いてもらったり勉強する助けに使わしてもらう。

江戸町商會の業績が将来悪くなってwatashiが送料の負担が出来なくなったり、watashiが亡くなったりいろんなことがあったら、続けられない。

一度だけ施しのように「寄付」するのでなく、ずーと続けるには、watashiだけの行為でなく「きっと大変かもしれないけど」皆の力を信じようと思ったのだった。

このことをマラカイさんに伝えたら、とっても賛同してくれた。
なぜだか、各学校もやる気満々になってくれた。
学校対抗とは説明していないが・・・。
ピキニニ達は日本から送られてきた「紙と色」を使って「絵」を自らの強い意志で描くこととなったのだ。

この時、watashiは深く考えないようにしていた。
なぜなら、「世界で一番幸せな国」のピキニニにするべきことでなく、「戦争やエイズで苦しんでいる国」の子供達にするべきだとかいわれそうだと 心の中で「びくびく」していたからだ。

出る杭は打たれる・・・・・そして「出すぎた杭は打たれない」と言われるが、watashiは「出すぎた杭は、壊される」と思っている。
だから、杭なんぞにならず地を這う「はこべら」作戦で決行したのだった。


第四章 前に進むしかない

感謝

2009年6月watashiは、彼らが描いてくれている絵を受け取る為にガワ島の小学校の校庭にいた。

島全体に電気や水道はなっくても「アートの先生」はいる。
小学校にはたくさんの笑顔があり、あごにしっかりひげのある「女性の校長先生」が教育している。
子供を虐待している国をアジアでは沢山みる。
この国では、考えられないくらい「ピキニニ」を大切にしている。
この国が「世界で一番幸せな国」と言われる理由かもしれない。

校長先生の最後の一言が「サボリタイ」watashiの心をいまでも支えていてくれている。

あなた達はこの学校のファミリーです。
一回きりにしないで下さい。
ずーっとずーっと続けてください。

もう、watashiの思い付きでは終わらせることが出来なくなってきた。


養護学校のママと道路でであった女の子

ガワ島での少しかび臭い「絵」の回収も終わりサント島の養護学校に着いた。
はっきりいって、子供以上に苦手だ。
上からでもなく下から目線でもなく「平等」な感覚で付き合う自信が無いからだ。
お涙頂戴もまたまた苦手。暗かったら最悪だろうと、むりやりつれてきたマラカイさんを少し恨む。

ごめん。

「絵」ってすごいね。

画用紙いっぱいに大きく大きく描かれた赤い花。
赤い色がうれしくて仕方なく大きくなったとのこと。
描いたことのうれしさのあまり、画用紙の上部がやぶれちゃったとのこと。
優しい優しい木々の絵。

ごめん。

養護学校ってことで構えていた自分に反省。
言葉が話せなくても、耳が聞こえなくても、足がなくても、大人に心を閉ざしていても・・・
花を愛し、自然を美しいと感じることが大切なこと。

この学校は一人の女性の力で成り立っているらしい。

すごい。

少し自分自身にブルーになっていた帰りの車の中のwatashiを明るい色に変えてくれたのは・・・
道路を「手」を使って歩いていた女の子がこっちに向かって手を振ってくれたことだった。

恥ずかしいよ「日本」
情けないよ「watashi]
watashはi「気づかされる」事によって、ますます思いつきでは終われなくなってきていた。


裸足でアタッシュケースを持つ男

裸足にマルマル(ふんどし)一つでアタッシュケースを持つこの男がマラカイさんの事務所に出向いて「うれしそうにコピーの裏紙」を貰って帰らなかったら、watashiはきっとバヌアツへ「絵」を貰いに来ていなかったはずだ。

その男が目の目にいる。
watashi達が小学校まで「ピキニニの絵」を取りに行く時間がないならと持って来てくれた。積極的な人だ。

送った紙の中には「B5の社名の入った便箋」があったのを覚えている。
その紙に色鉛筆でピキニニ達の家や友達がかわいく描かれていた。

他にも絵の具も入れてたよね。
使い方マラカイさんから聞いているよね。

この学校にはアートの先生はいないが素敵な先生がいるようだ。
ご丁寧な感謝の手紙がついていた。

英語とフランス語の出来る彼らからの感謝感謝のお手紙だ。


机右三段目

2009年6月watashiは燃えていた。
バヌアツの子供達(ピキニニ)・それを愛する大人達の偉大な力に燃やされていたと、言った方がいいかもしれない。
ガワ島のアートの先生は

「絵を描く各教室は長い間誰も使っていなかった。あなた達が送ってくれた画材が来てから、この教室にはいつも誰かしらいて楽しそうにしている。本当に絵を描くことを楽しんでいるんだ」

と言ってくれてた。

養護学校のママは

「この子達は嬉しくて嬉しくて、描いた絵を震えた手で破いたの。よっぽど感動してたのね。綺麗な色を使って真っ白い大きな紙に描く事にね。」

と美しい目を細めながら語ってた。

裸足でアタッシュケースを持つ校長は「ありがとうありがとう、我々は子供達を愛しているんだ。なんて感謝していいかわかんない。本当にありがとう。」 ってしっかりとした手で握手された。強く強く。

なのに、2009年12月まだ、江戸町商會の社長室の机右三段目目にピキニニから、託された「絵」たちはあった。

ピキニニの笑顔を忘れていたわけではない。

資金を調達する為「身を粉にして」働いていたのだ。
無理はしない。会社はスタッフのものでもある。自分勝手なことばかりも出来ない。
皆が納得してくれる「働き」をしようと、いつも以上にエンジン全開で、頑張っていた。
のちに、この行動を「バヌアツパワー」と呼んでいる。

お客様の為なら頑張れる×バヌアツパワー  これ以上強いものはない。
翌2010年1月・・・引き出しを開ける時がやってきたのであった。


第五章

やっと絵が絵葉書に!

プロフィール用の写真撮影があり、女の子に出会った。
厳密には、彼女はカメラマンとしてwatashiの写真を撮ってくれた。
人の紹介もあり、その女の子に「バヌアツのピキニニの絵」があることを伝え、手伝ってもらうようにお願いした。
興味を持ってくれその彼女は、イギリスのシンクタンクが書いた報告書を全部読んでくれたようだ。原文で。
ちなみにwatashiは英語を読んだり書いたり満足にできない。
よって、イギリスのシンクタンクがどんな基準や主旨で「世界で一番幸せな国」を選んだのか、人が要約して訳したものでしか知らなかった。

彼女は、外大出でバーテンダー経由飲食店舗プロデューサー。趣味は海外旅行。
しかも、バリ等の子供達の支援活動も手伝っていた経歴あり。おまけに紙ベースのデザインも出来る。
「優しく」「かわいい」仕上がりになった。
さすが、プロ。彼女の名はカボダロカさん。
いろいろ、手伝っていただきありがとう。


手伝いしたい気持ち

「世界で一番幸せな国」のピキニニにするべきことでなく、「戦争やエイズで苦しんでいる国」の子供達にするべきだとか、言われそうで心の中で「びくびく」していた。
悪いことしているわけでもないのに・・・。
なかなか、気持ちの整理が出来ない日が続いていた。

世界で一番幸せな国って言われた日からきっとこの国には、「優先的」には物資は届かない。
幸せの定義から、この国が物質的には豊かでないことはわかっていても、クロアチアなどの悲惨と言われているところが先。
「世界の子供達に絵を・・・!」のプロジェクトには幸せな国は????がついて置いてきぼりになっている。

現地を自分で見、現地の友と相談したwatashiだからこそバヌアツの現状がわかっている。

ピキニニたちからの絵が届き、絵葉書になった。
皆に絵葉書買ってもらって、ピキニニたちに絵の具を送る。
ただただ、単純なボランティア。

「えーい・・・・1,000部」と絵葉書つくちゃった。
本当に何度も何度も「やめる」理由探したけどつくちゃった。

絵葉書あるのに販売することにまで躊躇しているwatashi。
積みあがっているカード達。

そのカードを見て、江戸町商會の事務の手伝いしてくれていたkimodaが買ってもいいんですかと「1,000円」差し出した。

「私も手伝いしたいんです」っと言ってくれた。
そうよね。watashiも何かしたくて始めたんだ。

皆に「お願い」する勇気がこの時出たのであった。

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